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経済的に恵まれたはずだったのに、貧乏な家庭で苦労を重ねた。

60年前に起きた赤ちゃん取り違え事件で裁判所は
「経済的に恵まれたはずだったのに貧しい家庭で苦労を重ねた」として病院側に3800万円の支払いを命じる判決を言い渡しました。
なんとも切なく哀しい事件であり、いろいろ考えさせられました。

【赤ちゃん取り違え事件】
映画「そして父になる」でも話題になりましたが、赤ちゃん取り違え事件は昭和40年ごろから全国で多発したそうです。
ひゃあ!昭和40年といったら、私が生まれた年ではありませんか。
赤ちゃん取り違えは絶対にあってはならないことですが、実際に起きている事件であるのも事実。
間違われた両方の家庭がどういう環境であろうとも、本人はもちろん両方の家族も不幸にしてしまいます。
「産みの親より育ての親」とも言いますが、自分の本当の親を知りたいのはDNAのなせる本能でもあり、育ててもらった親には情がわきます。
いまさら、「親がちがっていました」では済まされるものではありません。
ましてや60年!
今回の取り違え事件で、原告側の男性は60歳。
自分の人生を返してくれと怒っても、勝訴で3,800万円もらったとしても、どうにもこうにも哀しさとむなしさしか残らないでしょうね。
【60年前の事件の悲劇】
原告側の男性は、「電化製品もないような貧乏な家庭に育ち、小さいころ父が亡くなったので、母親が生活保護を受けながら自分と兄弟を育ててくれた」そうです。
「働きながら定時制の工業高校を卒業し、今はトラック運転手をしている」とのこと。
一方の男性の実の両親は、経済的にゆとりがあり、誤って引き取られた子どもも含め兄弟4人は全員、私立高校から大学に進学した」そうで・・・。
裁判で訴えるということは、よほどのエネルギーが必要だとききます。
男性をそこまで駆り立てたのは、よほど苦労した人生だったからなんでしょうね。
「今まで長い間苦労をしてきて、何でこんなにつらい人生なんだろうと思っていた。取り違えが分かってからの数か月は毎日、涙が出た。こんなことがなければどんな人生だったのかを考えると悔しさが募り、病院に対しては怒りしかない。でも、苦しい生活の中でできる限りのことをしてくれた元の母親やかわいがってくれた兄弟には感謝の気持ちしかなく、複雑な思いもある」
60年・・・永すぎましたね。
知ってしまったこその苦しみと、一生知らないで過ごしたほうがよかったかもしれない幸せと・・・。
どうにもこうにもやるせない気持ちしか残らない事件です。
【お金と幸せと】
お金で幸せは買えない・・・と言いますが、やっぱりお金で成り立つのが世の中。
基本的な衣食住ですら、お金を土台として成り立っているのです。
原告の男性のように、自分が裕福な家庭に育っていたら、もっとちがう人生が送れたはずだと思うのも当然です。
「お金がある」=「幸せ」ではないけれど、お金があれば、理想や夢を実現に近づけることができるのです。
そういう意味では、お金で幸せは買える・・・のかもしれません。
ただし、お金の多い少ないという金額は、幸せとは比例しないと思うのです。
限られた収入の中で、自分に合った生活のレベルで暮らす。
そうして余裕が生まれたときには、もう少しいろんなことに挑戦したり、もう少し質の高い暮らしをしたり・・・今よりもレベルアップしたときに、幸せを感じるんじゃないかなぁ。
いつもお金と真剣に向き合って考えている人が、きっと幸せになれるのだと信じています。
そんなわけで、私が今真剣にお金と向き合っている一番の理由は、子どものため。
学ぶことに関して、子どもがやりたいと願うことは叶えてあげたいと思うからです。
「ピアノを習いたい」
「英語の塾に行きたい」
そんなのも学ぶ意欲として、やらせてあげたい。
「大学に進学したい」
そんな希望も叶えてあげたい。
子どもたちが後悔しない人生を歩んでほしいがための、ただひとつの私の願いでもあります。
だから私は子どものためにお金を貯めるのです!


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