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東日本大震災から2年・・・復興できると確信した日

ここに2年前の東日本大震災の写真があります。
2011年3月11日 震災のあった日から4日後、私は夫の実家のある岩手県大船渡市に向かいました。

P1010547.jpg

想像を超えた変わり果てた町の様子に絶句しながらも、カメラのシャッターだけは押しました。
そのときの写真は1枚のCDディスクに保存していますが、2度とディスクを開くことはないと思っていました。


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【震災から1年たっても絶望的な想い】
震災から1年後の昨年3月にも大船渡を訪れていますが、そのときは町の様子にカメラを向けることができませんでした。
1年が経つというのに、町にはあふれる瓦礫の山。
道路こそ整備され、ポツポツとプレハブのお店もできていましたが、それでも震災の爪痕はあまりにも大きすぎました。

日本中が被災地の復興に向けて大きく動き出しているというニュースを毎日のように目にしていましたが、実際に被災地に立つと本当に復興なんてできるのか?という疑問が身体中を包んだのを覚えています。

「復興」なんて簡単に言わないでほしい。
こんな壊滅状態の街が東日本の太平洋側のいたるところにあるのです。
無理だよ・・・。
こんな状態の街を復興するなんて、100年単位で考えなければ無理だよ。

そんな想いをかかえて大船渡から帰ってきたのが1年前。

【夫の母校が生まれ変わる】
P1010545.jpg
震災から4日後の写真。
右側の白い建物は、甥っ子が通っていた赤崎小学校。
うちの夫の母校でもあります。

震災時、甥っ子たちは先生方の誘導で学校の道路を挟んで向かい側にある小高い丘に避難しました。
まもなく津浪が学校を襲いましたが、小学校の生徒全員は無事でした。
先生の判断力に本当に感謝したものです。

【震災から2年・・・】
当時瓦礫の山だった小学校の周りは、2年後に訪れた先日にはすっかり整地されておりました。

DSC00725.jpg
大船渡高校出身の鹿島アントラーズの小笠原満男さんが中心になり基金を集めてくださり、赤崎小学校跡地に仮設グランドを建設するようです。

⇒大船渡で「仮設グラウンド整備」協定-小笠原選手らJリーガーが支援

道路は整備され、周辺の土地も整地されつつあります。
でも小学校の周りには家はほとんどありません。
津浪に襲われた土地に再び家を建てようとは思わないでしょう。
でも、その土地で生きていかなければならない人はたくさんいます。

仮設グランドの建設は、大船渡の町の人たちにとって新たな希望となるでしょう。
少なくとも私には、その整地された小学校跡地に、一筋の光が見えたようでした。

DSC00727.jpg
夫が子どものころよく遊びにいったという千丸海岸。
「昔と変わらない海だ」と夫は言いました。

DSC00734.jpg
海猫の鳴き声も昔となんら変わりありません。
向こうには、牡蠣の養殖棚も見えます。
震災前も同じ光景でした。

少しずつ、本当に少しずつ街は前に歩き出しています。
人は希望を持って生きている限り、進んでいけるのですね。

東日本大震災で多くのものを失った街も、必ず復興できる。
震災から2年経ってようやく私もそう思えるようになりました。





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Category : 東日本大震災
06 2013 | 0 comments 

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